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 二一日午前二時一〇分頃、N市H寺町の国道二四号Nバイパスで、大型トレーラーがスリップし、トレーラーの前方を走行中だったK市T田町、農業、滋野孝成さん(二四)の運転する乗用車に激突、滋野さんが全身を強く打つなどして死亡した。N署は、トレーラーの運転手、同県T市の高野光紀容疑者(四九)を業務上過失致死の疑いで逮捕し、当時の状況を調べている。
 事故当時、N市内では、接近する台風6号の影響で一時間に八十ミリを超える土砂降りだった。高野容疑者は警察の調べに、「雨で見通しが悪く、急なカーブでのハンドル操作が遅れた」と話している。

* * *

 当直で編集部に詰めていた俺に、事故の一報が入ったのは午前二時半頃。現場まではおそらく二十分もかからなかっただろう。少し離れたところからカメラのシャッターを切りながら近づいていった俺が、警察車両の放つ灯火の中に見たものは、横転して車線を塞いではいるものの、全ての窓にヒビが入り、バンパーがひどくひしゃげている他は大きな損傷の見えないトレーラーと、ガードレールに突っ込んで、前も後ろもぐちゃぐちゃに変形したライトブルーのミニバンだった。
 見覚えのある車色に、俺は半ば呆然となりながら、顔馴染みの交通課の警官を探した。降りしきる雨で視界が遮られ、顔の判別がままならない。
「野間さん!」
 ようやく目当ての警官を見つけ、叩きつける雨音にかき消されないように声を張り上げた。何度目かで他の警官が気づき、野間の肩を叩いてくれた。
「保井くんか。雨の中、ご苦労だな」
 豪雨の中の検証にもかかわらず、野間の調子は普段と変わらない。
「あのミニバンですけど……」
「あぁ、すぐに発表になると思うけどな、運転手は即死だ。下半身が完全に押し潰されてて、引き出すのにもう少しかかる」
「その運転手、俺と同じくらいで、ちょっとガタイのいい男じゃないですか? 短髪で、あと、運転中なら眼鏡かけてて」
 俺は思いつく限りの身体的特徴を並べた。
「ちょっと待て。知り合いか?」
「もしかしたら……」
 すぐに遺体の確認を、と言われ、俺は事故車へと引っ張っていかれた。
「車体が潰れているもんで、身元の確認ができなくてな。ナンバーから照会かけてるんだが、まぁ、早いに越したことはない」
 近づくにつれ、雨で霞んでいた事故車の惨状がはっきりとする。ドアは取り外されていて、そこから、ダラりと垂れ下がった腕、不自然な角度に倒れた頭が見えた。一歩近づくごとに、疑いは確信に変わり、それに反比例するように否定の感情が膨れ上がった。
「孝成」
 俺自身の声で、俺は認めなければならない現実を悟った。
「滋野、孝成です。自宅は……」
 澱みなく孝成の自宅の住所と電話番号を告げた俺は、野間に引き摺られるようにして、警察の捜査車両に乗せられた。別段事件性はなく、友人とはいえ、俺があそこにいたのは事故の関係者ではなく新聞記者という立場でのこと。それでも雨のない場所で状況を説明してくれたのは、たぶん、野間の気遣いだ。
 トレーラーの後ろを走っていたトラックの運転手からの通報で、警察が事故現場に到着したのは事故発生後十分以内。そのときトレーラーの運転手は自力で運転席から這い出していて、警察の調べには素直に応じたという。
「土砂降りで前方がよく見えなかった。気がついたらカーブが迫っていて、慌ててハンドルを切ったらスリップして横転。と運転手は言っている。強いて言えば前方不注意。カーブがきついことは走り慣れてて知っていたが、慣れが手伝っていつも通りのスピードで走っていたそうだ」
 貨物の過積載等の違反もなかった。過失致死で送検することにはなるが、これまで目立った違反はなく、猶予つき判決になるだろう。トレーラーの運転手からの聴取を終えた野間は、そう、俺に教えてくれた。
 野間の話を聞き終えて、ふと、腕時計に目を落とすと、まだ午前三時半だった。俺が現場についてから、まだ一時間しか経ってはいなかった。車内で話をするにも大声を張り上げなければならなかった雨は、いつの間にかピタリと止んでいた。

* * *

「後は、警察の発表を待って、容疑者の勤務先のコメントを取ったり。でも、事件性はなかった。これで全部だ」
 ポツリポツリと話す俺の言葉を、福井も相楽も黙って聞いていた。話し終えた後も、誰も何も言おうとはしなかった。

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