2

 客間に設えられた祭壇の前に横たわる孝成の遺体は綺麗だった。綺麗に清められて、すっぽりと棺に納められている。
 手を伸ばした先の孝成の土気色の肌と俺自身の肌の色の違いに驚いた。それさえなければ、眠っているだけだと言われても俺は納得しただろう。けれど、その土気色が、そこにはもはや生命が存在しないのだと言う。疑うことを許さない。厳然たる事実を突きつける。
 伸ばした手は、力なく膝の上に落ちた。怖いというのは違う。禁忌を覚えたわけでもない。ただ、土気色の孝成に触れることが躊躇われて、俺は膝の上で両手を握り締めた。
 いつの間にか隣りに相楽がいた。
「福井は?」
「離れに籠もってる。お前が来たって知らせたから、そのうち戻ってくるよ」
 俺たちは、大学のジャズ・サークルで出会ったバンド仲間だ。サックスとたまにボーカルの俺、ピアノの福井、ベースの孝成、ドラムの相楽の四人組。学園祭はもちろん、市内のジャズバーにも頻繁に出演し、地元のジャズ界では多少は名を知られている。俺たちは四年間の大半の時間を共に過ごした。ここ滋野家の離れは、俺たちの練習場所だった。
 大学時代、誰よりも一番長い時間を過ごした。相楽には高校時代からつき合っている彼女がいたし、俺もそのうちに朱音とつき合うようになって、別にバンド三昧の生活をしていたというわけではない。バンド生活の中に、俺たちの彼女を連れ込むこともなかった。バイトだって四人四様にこなしていた。音楽はそれなりに金のかかるものだから。それでも、あの頃一番長く、一番濃密な時間を共にしたのは、彼らだったと断言する。週に三日は集まって、遅くまで練習をした後は飲み明かし、そこで眠った。練習のない日も、大学の近くに下宿していた俺や福井の部屋でそれぞれのレポートを片づけたり、飯を食ったり。俺も相楽も、よく恋人に愛想をつかされなかったものだ。
 絵に描いたような青春時代。今になって語れば恥ずかしさも覚えるが、当時の俺たちは至極真面目に日々を過していた。
 孝成はいつも寡黙だった。いるときには空気のようにそこに佇んでいるだけなのに、いないといないことがはっきりわかる。俺の下宿で雑魚寝した翌朝はよく、黙って部屋を出ていく孝成の気配で俺たちは目覚めた。(別に薄情だということではない。孝成の在籍していた農学部は学内の最奥に校舎があったから俺たちよりも通学には時間がかかったし、学年が上がるにつれて、飼育動物の世話で早朝に登校することが多かったのだ。)孝成がいないと、途端に空気が騒がしく落ち着かなくなる。俺はそんな風に感じていた。よくしゃべる福井の聞き役がいない。それが理由だったのかもしれないけれど。
 板張りの廊下が軋んだ。
「和希」
 想像以上に憔悴した様の福井に、少し驚いた。
「……大丈夫か」
「別に。それより、聞かせろよ、事故のこと」
「わかってる」
 俺と福井と相楽と、孝成と。別段変わることのない光景なのに。孝成、ここはどうにも空気がざわついて仕方がない。

Copyright (c) 2009 Rei Masaki All rights reserved.