八重咲きの鳳仙花


「負けたなぁ」
「負けましたねぇ」
 県総体の個人戦が終わった日、俺は他の部員が帰った後も学校のコートに残っていた。黄色い硬球を弄びつつ座り込んだまま、どうしても立ち上がることができなかったのだ。
 隣りでは松山が、両足を投げ出している。
 団体戦の選抜に漏れた三年の俺にとって、個人戦敗退は高校でのテニス生活の終わりを意味していたが、一年後輩の松山にとってはむしろここからのスタートなわけで、感慨深げに居残る必要なんてない。でも松山は、俺の隣りで空を見上げていた。
 県内屈指のテニス名門校にあって、常に選抜のデッドライン上をうろうろしている。それが中等部時代からの俺の定位置。そんな俺に変化が訪れたのは、松山が高等部に上がってきたときからだ。
 中等部時代の松山の記憶はほとんどない。部内では下から数えた方が早いくらいの不遇な後輩。薄っすらと残る松山の印象はそんな感じだった。
 それが、一年のブランクを経て再会したとき、ヤツの実力は高等部のレギュラー陣に肉迫するまでになっていた。ちなみにうちの学校は中高一貫校でありながら、中等部と高等部の交流はほとんどない。都市部ならではの土地事情で、そもそもの敷地が離れている。三年後には郊外に新しい学舎ができるそうだけれど、それは俺たちには関係のない話だ。
 俺が二年、松山が一年の夏、俺の足下にまで迫ってきた松山と始めてダブルスを組んだ。パワープレイ一辺倒の俺に、柔らかい膝を生かしたネットプレイが得意な松山。この組み合わせは想像以上に効力を発揮して、シングルスではイマイチな俺が、松山と組むダブルスだけは好成績を積み上げていった。ただ、ガキの時分からペアを組み続けた部内トップの双子ペアにだけは、どうしても敵わなかった。それが、俺が今回、部内の団体戦選抜に漏れ、他の部員よりも一足早くテニスに終止符を打つことになった要因でもある。
「松山はさ、来年、最後まで残れよ」
「えぇ。先輩のように一足早く終わったりはしません」
 晴れやかに笑う松山の目は、すでに次の新人戦を向いているのだろう。
 この一年で松山は、欠けていたパワーとスタミナを備えて、ますます実力を上げた。俺と組んできたから、というのはおこがましいが、部内の上位陣に混じって日々練習を積んできたことが、ヤツの力になったのは疑いない。今の二年の中では、文句なしに実力トップだ。何より、パワー一辺倒で行き詰った俺と違って、プレイのバランスがいい。まだまだ伸び代も多い。
 来年の夏、松山の実力は咲き誇るだろう。俺の役目はここまでだ。ようやく俺は、重い腰を上げた。
 俺の手の中で弄ばれていたボールは、松山の手にしっかりと受け取られていた。

Copyright (c) 2009 Rei Masaki All rights reserved.