いぐさの花むしろ

 幼い頃のヴァイオリン教室への送り迎えも、学生コンクールの付き添いも、全て祖母がしてくれた。その祖母が亡くなって、僕は音楽の道を諦めた。

――道弥のしたいことをしたらええし。

 背を押す人がいなくなったくらいで諦められるなら、それはその程度の夢でしかなかったのだ。
 そう言う人もいるだろう。
 だが、祖母に甘えるばかりで育った僕にとって、両親との決別という十八歳の決断は重すぎた。だから、あのときのあの選択は、僕にとって分相応だったのだ。
 そして、子どものままの僕は、自分の選択に納得することもできず鬱屈したものを抱えたまま、三回生の冬を迎えていた。
 一旦は就職し、そしていずれは家業を継いで欲しい。
 それが両親の願いだ。それに従うならば、そろそろ就職活動を始めなければならない。
 鬱屈する心で爪弾く音は僕自身をひどく打ちのめして、僕はヴァイオリンを床に放り出してしまった。
「何やってんのよ」
 遥がいつもの呆れ顔で僕を見下ろしている。
「バカね。あんたには帰る場所がいつだって用意されてるじゃない。道弥はやりたいことをしてたらいいのよ。あんたが帰ってくるまでは、私が変わりに面倒をみておくから」
 そんなことでうちの両親が納得するとは思わなかったが、そんな遥を両親が気に入っているのは知っている。
 そっと遥に頬を寄せると、ふと、いぐさの香りがした。

――涼しげやろう。

 夏になると、祖母がこの部屋に敷き詰めた花筵。冬の今は納戸の奥にしまわれて、また来年の夏を待っている。
「ばあちゃんの匂いだ」
「バカ」
 顰めた遥の顔に、祖母のしわの寄った微笑が重なった。
 そんなことを言えば今度こそ引っ叩かれるだろうな。そう思って僕は、祖母の微笑みをそっと胸にしまった。

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