■クランベリージャム
部屋中に甘い匂いが漂う。
朱音と出会った最初の2年は、親しい男友達への可愛らしいチョコ。
だけど、つき合い始めて間もない3年目は何もなかった。形式さえ整えられなかった彼女の追い詰められた精神は理解していた。だから俺たちは、その日がまるで何でもない試験明けの一日だというように、テレビもラジオもインターネットにすら繋がることなく、朱音の部屋に籠もって、ただただお互いの好きな音楽を大音量で流していた。
次に彼女からバレンタイン・チョコを貰ったのは、大学を卒業した翌年。小さな箱に並んだ不揃いなトリュフは、少しアルコールがきつくて、そしてひどく苦かった。
過去へと思索の旅に出ていた俺は、鼻先に突き出されたものから漂う甘い香りで現実に引き戻された。
差し出されたのは、白いデザート用の皿にきちんとデコレーションされたチョコレートケーキ。こんな夜中に食べたら腹が出るかなぁ、と少し心配になりながらも、俺はありがたく皿を受け取った。
一口、口に含めば、ほどよい甘さが広がる。
「おいしい」
「去年よりは腕、上げたでしょ?」
「うん」
とても甘くて、パンチの効いたチョコレートの苦味が心地いい。
「すごいおいしいよ。ありがとう」
ペロリと平らげた俺に、朱音が微笑む。そして、デコレートされていた赤い実を一粒、俺の口に押し込んだ。押し込まれた実が、口に残る甘さと苦さを爽やかに押し流していく。
俺はカバンから小さな包みを取り出し、彼女に渡した。
「何?」
「今年は『逆チョコ』が流行りらしいよ。チョコじゃないけど」
包みの中にはあの実と同色の石。いくつもの小粒の石が並ぶ、いわゆるエターニティ・リングだ。
「俺と、結婚してください」
俺は指輪を取り上げ、朱音のほっそりとした指にそっと嵌めた。